宮城のニュース

今の宮城の状態を皆さんにお知らせしたほうがいいと思って今後とも宮城のニュースを記事にしていきます。
河北新報ニュースより☆
ニュース①
【塩釜みなと祭、7月18日開催 安全面に最大限配慮】
 塩釜神社のみこしを載せた御座船が松島湾を渡る宮城県塩釜市の夏祭り「塩釜みなと祭」が、7月18日に例年通り開かれる。
 東日本大震災で塩釜市も大きな被害があったが、復興への象徴にしようと、市などでつくるみなと祭協賛会が12日、決めた。
 塩釜みなと祭は1948年に戦後復興を目指して始まり、ことしで64回目。近年は海の日に開催されている。塩釜神社と志波彦神社の2基のみこしが市内を練り歩き、塩釜港から2隻の御座船に載せて松島湾を巡る海上渡御が目玉で、約100隻の漁船などが海上パレードをする。
 協賛会は余震にも備え、安全面に最大限配慮するという。協賛会事務局は「塩釜から元気を発信したい。市民の励ましになるような祭りにしたい」と話している。
2011年05月13日金曜日
ニュース②
【南三陸町救護所きょう全て閉鎖 避難住民「早過ぎる」】
 震災以来、避難住民の命のとりでだった医療救護所が13日、一斉に閉鎖される宮城県南三陸町。「医療の自立」を掲げる町に対し、避難住民からは「閉鎖は時期尚早」と戸惑う声も上がっている。
 「先生、もうしばらくいてください」。110人が避難生活を送る志津川高。避難所自治会の佐々木光之代表(49)が訴えた。
 相手は神戸市立医療センター中央市民病院の有吉孝一救急部長(45)。津波の威力を前に、有吉部長は「阪神大震災の比ではない」と判断。3カ月を超す長期支援の計画を練っていたが、救護所閉鎖の方針を知り腕組みした。「地元の自立の妨げになってはいけない」。撤退は苦渋の決断だったという。
 佐々木代表は避難住民の思いを代弁する。「被災者は家も車も流された。医療の自立より、被災者の自立の方が先だ」
 志津川地区の拠点診療所となる公立志津川病院前。同町歌津の畠山登さん(62)が、つえを頼りに無料シャトルバスに乗り込んだ。「仮設の診療所は狭い。集約化でこれ以上混んだら病身にはこたえる」。3年前に脳梗塞を患い、月3回の通院が欠かせない。
 同乗していた及川盛さん(63)が真っ向から反論した。「いつまでも外部からの支援には頼れない。かかりつけ医の方がいい」
 歌津地区の拠点診療所となった鎌田医院の鎌田真人院長(53)は「うちも志津川病院も被災して、まだよちよち歩き。救護所閉鎖は早かったと思う」という感想を漏らす。
 一方で、一刻を争う急性期医療から糖尿病や高血圧など慢性期医療へとニーズの変化を最前線で感じている。「慢性期の患者に必要な検査の多くが、救護所では十分にできない」。鎌田院長は救護所の限界も指摘した。
2011年05月13日金曜日
ニュース③
【命の恩人に 感謝伝えたい 捜しきれず心残り 名取】
お礼が言いたい―。東日本大震災で津波被害を受けた宮城県名取市閖上の町内会副会長小平守夫さん(72)が、3月11日に浸水で孤立した桜の木にしがみついていたところを助け出してくれた命の恩人2人を捜している。
 小平さんは震災当日、避難のため閖上小の校庭に駆け込んだ直後、津波にのまれた。数十メートル流された後、目の前に現れた校庭の桜の木の幹にしがみついた。濁流に運ばれた車やがれきが木にぶつかるたびに振り落とされそうになった。「もう駄目だと思った」と振り返る。
 「頑張れ。今、行くぞ」。校舎から声が掛かったのは、30分ほどたったころだった。ピーク時の勢いは無かったものの、黒い水が校庭を深く覆っていた。それでも2人の男性が胸まで水に漬かりながら近づいてきた。
 男性の1人は消火ホースを手渡し、「校舎につながっている。これを頼りに避難すれば大丈夫」と励ました。
 ホースをたどって校舎に着いたが、疲労感と放心状態から口がきけなかったという。避難した家族や近所の住民のマッサージを受けるなどして一夜を過ごし、翌12日午後、他の避難住民と共に、浸水のため孤立していた同小から救出された。
 お礼を言いそびれたことが心残りで、小平さんは3月下旬から2人を捜し始めた。名取市内の避難所を訪ね歩き、掲示板に「助けてくれた人に心当たりのある方は教えてください」と記したカードも貼ったが、連絡は来なかった。
 閖上小に避難していた人の間では、男性は名取市近郊の海岸などで活動している監視員ではないか、との情報がある。
 2人は30歳前後の印象だったが、容姿や服装は覚えていないという。小平さんは「あのまま木に取り残されていたら、疲れと寒さでどうなっていたか分からない。直接、感謝の気持ちを伝えたい」と話す。
 小平さんは、河北新報4月13日付朝刊「私が見た大津波」に「校庭の桜の木につかまり逃げ遅れた人」として、目撃談が紹介された。(須藤宣毅)
2011年05月13日金曜日
ニュース⑤
【村井宮城県知事、復興案次々と 被災地の反発も】
村井嘉浩宮城県知事が政府の東日本大震災「復興構想会議」で存在感を発揮している。「災害対策税」導入や「水産業復興特区」創設など、具体的な提案を次々に打ち出す。菅政権が復興に向けた青写真の骨格を示せない中で、議論をリードしようとする「村井戦略」も見え隠れするが、脇目も振らずに突っ走る姿勢には被災地から反発の声も上がる。
 村井知事はこれまで4回の復興構想会議で、国と被災自治体による「復興広域機構」設立や「東日本エコ・マリン特区」の創設、「水産業再生支援事業」など独自のプランを矢継ぎ早に披露した。
 会議の検討事項に入れるかどうか揺れた復興財源論では、松下政経塾時代からの持論だった災害対策税導入を提唱。被災県が自ら増税を求めるという大胆な行動に出た。
 知事は「被災地の事情を踏まえず復興プランを描かれては困る。宮城の考えを積極的に発信するのは当然」と話し、「財源も一緒に議論しなければ、どんな提言も絵に描いたもち」と指摘する。
 議論をめぐる村井戦略はしたたかだ。
 構想会議の下部組織、検討部会の委員を務める今村文彦東北大災害制御研究センター教授、藻谷浩介日本政策投資銀行参事役を県の復興会議メンバーに起用。宮城の復興ビジョンを「上からも下からも」(県幹部)、構想会議の提言に反映させようともくろむ。
 県復興会議には発言力のある各分野の第一人者をそろえた。議論の様子は報道機関に全面公開し、「宮城発」の情報発信を強く意識する。
 だが、知事が次々と繰り出す復興アイデアには波紋も広がる。養殖の漁業権を民間企業に開放する「水産業復興特区」の提案には、漁業権を独占する県漁協が猛反発。「あまりに唐突だ」と知事への怒りをあらわにした。
 県幹部の一人は、前のめりにも映る知事の姿勢を「いら立ち」と見る。「震災2カ月が過ぎても政府から具体的な復興方針は示されない。被災者には早く復興の姿を見せなければならず、相当焦っている」と推察する。
 県政与党を掲げる県議会最大会派「自民党・県民会議」の佐々木喜蔵会長は「良いアイデアだったとしても、丁寧な説明や調整を欠けば、感情的な対立を生むだけだ」といささか独走気味の知事に苦言を呈した。
(長谷美龍蔵)
2011年05月13日金曜日
【避難所いま】

Pocket